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腹が減った。
腹が減るときには、必ず思い出すようにしている印象深い映像がある。 子どもの頃、私は春先に「土筆(つくし)」を自分では食べもしないのによく採りに行った。家族も誰ひとり喜んでいなかったが、あぜ道脇に季節限定で生えているそれが食べものだと思うと、取らずにはおれなかった。時間も忘れて仕事のごとく一心不乱、無心になって採った。 土筆は、陽がよく当たる田んぼの土手斜面に密集して生えていた。しかし土から顔を出し3日もたたないうちにハカマと呼んでいた部分を2つ程度作っただけで、かなり背丈が低いままに、土筆の筆部分が花粉を放ち開ききっていたものが多かった。 反して、家の前の小さな枝川の土手には、背の高い雑草が生い茂っていて、それをかきわけると30センチ位の長い土筆を見つけることがあった。だから私はもっぱらそこを収穫の場所としていた。松茸でもカニでも、なんでも食材はナリがデカい方が価値があると思ったからだ。雑草で手を切らないよう、採った土筆が折れないように苦心するのも、気忙しさが収穫の喜びにつながった。 土筆というのは、どんなに背が高くても太さはそんなに変わらない。差があるとしても子どもの薬指と小指の差くらいだ。しかし、私は一度だけ、私の薬指くらいに太く背丈も20センチほどの土筆を見たことがある。それは犬のものか人間のものかわからない大きなうんこの中央から、生えていた。おそらくこの老廃物を突き破って生え、さらに養分を取り入れ肥大化したのだろう。 私は立派な獲物をとり逃す性質では無かったが、このときはあまりの自然のたくましさに見とれ、芸術的な美しさを感じ、折り採ることが恐れ多い気がした。アスファルトを突き破る土筆も見ることがあったが、うんこを突き破るとは見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ、である。背筋を伸ばし、威風堂々としたその姿は私の心の芸術アルバムに今も残っている。 私はいま腹が減っている。よってこの子どもの頃に見た、土筆の親分のことをこと細かに思い出そうと努力している。不潔だからではない、食物に対して敬意を払い続けるため、だ。 ははは(笑)
by na-boo
| 2004-12-18 14:02
| 日記だび
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