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花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ=井伏鱒二=
by na-boo
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福岡市営地下鉄七隈線開業で思い出した。
 福岡市の市営地下鉄に新しく七隈線が接続開業した。ローカルテレビニュースは、さっきからそのことばかり放映している。

もっと早く通すべきだった。少なくとも18年前くらいには通すべきだったと思う。

 そしたら、私は高校の修学旅行に遅刻することはなかった。

 いや、違う、そんな事を書きたかったわけではない(笑)

 この七隈線のニュースを観ていたら、私が知っている議員が映っていた。それについて沸々と思いだしたことがあったのだ。
 その議員は、私がまだ20歳そこらでアルバイトをした選挙事務所の御大将だった。議員は人格的にも正しく、若く爽やか、思いやりのある人だった。ただ少し、四角四面な選挙活動を傍から見ていて面白みに欠ける人だと思っていた。落ちることなんてありえない勝ち馬に乗った選挙事務所で、まさしく学生アルバイトとしては「美味しい」と言い切れる楽して稼げるチョロいバイトだった。

 しかし、私は盛大に当選祝いが行われる前に辞めてしまった。責任感の無いことをしたと今では私の人生から抹消したい事実である。なぜ、辞めたのか。それは私が駄目人間だったからだ。

 そこでは議員は「先生」、その奥さんのことは「奥サマ」と呼ばなければならなかった。当人は尊敬できる人物でもあったから、先生はすんなり呼べた。ただ「奥サマ」が呼べなかった。年の頃は自分より6、7歳くらい上。普通の、なんのカリスマ性を持たない凡庸な女性だった。私は生まれて初めて人をサマ付けで呼ぶこと、と命令され、その言葉を発したあの日の動揺を今でも忘れていない。

 「おおおおおおお奥さま」と、どもってばかりいた。自分に吃り癖があると知ったのもあの頃だ。
 奥様は「あなたに奥様、と呼ばれるとドキリとするわ」と言っていたから、こちらの心の震えも伝わっていたようだ。悪い人ではなかったが、私があまりにも子どもだった。毎日、南部の黒人差別問題のように、私は生まれながらの下人なのかと屈辱的な気持ちが膨らんできた。一生この女王様と召使いの関係が続くと思ったら、この世界から抜け出たくなったのだ。それで3カ月で辞めた。

 今なら、簡単に言える。そう呼ばれたいなら呼んでやる。私より年下でも、どんな人でも、本人がご満悦なら心ゆくまで「奥様」って呼んでやれる。
 私は子どもだった。本当に、ズルさがない、嘘がつけない子どもだった。

 地下鉄とは全く遠い話だけど、ふと、過去へ戻る列車に乗ったように、反骨心強い自分の原点を思い出した。
by na-boo | 2005-02-02 23:08 | 日記だび
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